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東芝グループ営業事業部 東芝営業第一部 福尾 さち子Member

2010年5月28日 結婚と出産を経て、営業職への転身 東芝グループ営業事業部
東芝営業第一部
福尾 さち子

時間が経つのがとても早い。毎日が刺激的です。

1992年、九州の学校を卒業して入社、配属先は東芝の柳町工場で、製造部門の事務職(庶務)の仕事に従事しました。最初はテレビドラマに出てくる東京や横浜に憧れがありました。東芝に入社したのは、モノづくりの仕事に携わりたかったから。不思議と故郷を離れる不安はありませんでした。若かったのでしょうね。母も応援してくれました。

しばらくして結婚、出産を経験。そして1999年に職場に復帰しました。部門の統廃合なども経て、2005年3月まで事務職一筋でした。現在は営業部門に所属し、東芝グループ向けに様々なシステムのソリューション販売を担当しています。

復帰後、事務職からプランナー、そして営業職。仕事内容の違う大きなチャレンジ。

育児休暇から復帰して7年たった頃、当時の上長に「プランナーをやってみないか」と言われことをきっかけにチャレンジをしました。
技術部の所属でしたが、最初は営業の方々と一緒に、展示会やセミナーの企画・実行、パートナー企業とのアライアンスの仕事などを始めました。そして2005年9月には新製品「Matrix(メトリックス)」の拡販チームに入って、技術・営業の垣根を越えて、広報を中心にプランナーの仕事をするようになりました。
その後、部署の組織改変により、営業をやってみないかと言われたのです。そろそろ新しいことに挑戦してみたいな、と思っていたところでしたが、家族のことも考えて悩みました。でも、自分を試すことができる最後のチャンスだと思いましたし、相談した上司も「やってみたら?」と背中を押してくれたので、エイ!っと、飛び込んでみたのです。

まわりの協力と笑顔で困難を乗り越える

営業職に変わって最初に苦労したのは、システム関係の技術用語です。みんなの使っている言葉がわからない。お客様は開発の方が多いので、どんどん新しくなる用語を覚えなければついていけません。自分が庶務でいる時から一緒に仕事をし、応援してくださっていた上長や技術・営業の方々がいつも支えてくれたので、苦しいと思ったことはなかったですね。同年の夫は、私の仕事が庶務からプランナーに変った時には、少し心配していたようですが、今は「自分の人生だから、仕事も大切」と応援してくれています。
もちろん、今でも毎日が勉強です。また今は子供の育児もありますので、仕事と生活のバランスをとるためにも、リズムを崩さず、規則正しい生活をするよう心がけています。

「絵てがみ」でほぐす緊張

現在は、東芝グループの会社が主なお客様ですので、これまでとは違う様々なことを新たに勉強する機会もあります。旧知の先輩もいませんし、少し緊張することもあります。
そこで、仕事と家事の合間に九州にいる両親や祖母へ「絵てがみ」を書くようになりました。絵てがみは墨と絵具を使って、季節のものを中心に葉書に絵を描きます。「下手な分だけ味がある」と言われていて、10分ぐらいで描けます。見ている子供も喜びますし、最近は祖母からも絵てがみの返事がくるので楽しみです。

今。そして、これから。

営業職になってからは、多忙ですが楽しいです。人との出会いが増えたのが嬉しいですね。ひとつの仕事を進めるために関係部門と協力して進めていく。さらにお客様と一体となってひとつのものを作り上げていくという充実感があります。会社に入って、いろいろな仕事を経験して、いろいろな人と出会って、とても視野が広がりました。お客様にも恵まれ、色々ご指導頂き、感謝しています。そして迷った時に背中を押してくれた上長や、困った時に相談に乗ってくれた先輩。今後もいろいろな人に出会って、女性として大きな人になりたいですね。皆さまに「一緒に仕事がしたい」と思って頂けるよう、これからも頑張ります。

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