[第2回]まずは自分が魅力ある存在に②
2017.8.23
2017.8.23
今回は、そもそも人間力とは何かについて考えていきたい。的が曖昧では、何をすれば良いのかも的を射たものとはならない。
手元に2003年発行の「人間力戦略研究会報告書」がある。サブタイトルを見るとその研究会の目的が読み取れる。「若者に夢と目標を抱かせ、意欲を高める」。つまり、その頃産業界に漂っていた閉塞感を打ち破りたい。そのために人材育成からのアプローチの中心に据えた言葉が「人間力」というわけだ。
本委員会では人間力を「社会を構成し運営するとともに、自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力」と定義している。閉塞感を打ち破るために、「教育」という言葉では括れない、当時、新たな言葉として「人間力」を用いていたようだ。
私が、人材開発部門へ異動したのは2002年4月。そこで出会ったT部長との出会いが、私の人生を変えたと言っても過言ではない。スタッフの仕事は「刺激が少ない」というイメージを払拭してくれたのもT部長だ。そのT部長から与えられた最初の難題が「当社の人材育成の根幹に人間力を据えていかねばならない。そのためにどうすれば良いかを考えろ」だったと記憶している。
人間力の拠り所を求めて本を読みあさり、経営幹部へのヒアリング等も行った。そこで出てきた結論は、至ってシンプルな内容だった。
「自分さえ良ければではなく、相手を思う誠実さが光っていること」
「徳育があって、初めて知育(知識やスキル)が生きてくる」
「優れた技術力があっても、胆力や粘り強さ、気配り等がなければ活かせない」
“なぜ会社に入ってから、今さら”と正直、思った。現状を打破する力は遠くにあるわけではなく、足元からというわけだ。
長年、人間力を磨くことに携わっての持論は「人間力」を型にはめる必要はないということだ。現状を打破するためには、型にはめるよりも常に、「人間的な魅力ある人との出会いを通して自身を振り返る」「社会で活躍するリーダーの人柄や志に刺激を受け」「なぜ、自分にも人間力が必要なのだろうかと考える」そして、“気づく力”を磨くことが、即“人間力”を磨くことに通じるのではないだろうか。
私がコラム「人間力との出会い」を続けてきてわかったことは、気づく力を養っているということだ。常に、次回は何を書こうかとの意識が気づく力を与えてくれる。